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syui 2024-11-21 05:51:52 +00:00
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@ -634,4 +634,86 @@ ueは触りだしたばかりなので試行錯誤でやっていると、特に
あんなに自由に動かせたのに。便利で快適だった機能もすべてなくなり、ギクシャクした動きや全く動かない状態から再び作っていかなければなりません。調整していかなければならない。 あんなに自由に動かせたのに。便利で快適だった機能もすべてなくなり、ギクシャクした動きや全く動かない状態から再び作っていかなければなりません。調整していかなければならない。
それに加えて、今までにはなかった新たな問題も発生しています。私は早いうちに移行を済ませておきたいタイプですが、おすすめしません。 それに加えて、今までにはなかった新たな問題も発生しています。私は早いうちに移行を済ませておきたいタイプですが、おすすめしません。
## インターネットとはなにか
atprotoを考えるとき、インターネットのことを考える。
私の考えはわかりづらいように思います。たまたまyoutubeにでてきた動画にINFJは理解されないみたいなのがでてきた。調べてみると自分の診断結果も`INFJ-A`というやつだった。
ということで、atprotoについて少し自分の考えを話します。明快に。
私にとってインターネットという概念はそこまで難しいものではありません。重要なのは「人と情報」です。人はどのように情報を得ていくようになるのだろうか。それを考えます。そして、それは時代とともに変化します。今はインターネットから人は情報を得ていくだろう。それだけの話です。
次に考えるべきは「どのように」です。インターネットから情報を得ていくにしても、どのように得ていくようになるのでしょう。それを考えます。
まずは歴史からですが、簡単に説明すると、インターネットが普及し、最初に起こったのは個々人がホームページを作り出したことでした。誰でもホームページを作ると、つまり、webサイトですが、それを作ると情報を発信できるのです。そして、検索エンジンが登場します。
最初はurlを入力してアクセスしていた人々が検索エンジンからwebサイトにアクセスするようになります。この時代を1としましょう。
次に登場したのはサービスでした。色々なサービスができて、snsが登場します。twitterとかfacebookなどですね。次第に人々はホームページや検索エンジンからではなく、snsから情報を得ていくようになります。この時代を2としましょう。
さて、ではその次はなんなのでしょう。これはまだはっきりとはしていません。
ですが、次第に輪郭が見えてきたような気がします。それがactivitypubやatprotoのようなものになります。
これがどういったものかというと、こんな風に主張する人もいます。「インターネットは大企業に乗っ取られた。それを取り戻す」
私はそんな風には考えませんが、確かに、人々はサービス上でアカウントを作るようになりましたし、サービス上で発信するようになりました。すべての投稿はそのサービスに帰結します。個人にではありません。もちろん、情報をどこから得ていくのかもサービスの中からです。これが近年のインターネットの形であり、あり方でした。
ですが、1では違いました。私は3ではまた1の方向に帰結するのではないかと考えているのです。時代に合ったバランスで。
これは1にそのまま戻るというわけではなく、1にはたくさんの問題がありました。その問題のため、2が使われるようになった側面があるのです。例えば、検索エンジンでは求めている情報にたどり着けないことが増えましたよね。そうした問題をバランスよく解決したり回避したりしながら、3への移行になるのだと思います。
atprotoはそうした問題点をわかっていて、付属するservice(server)、例えば、bgs, bsky, plc, ozoneなどはそういった役割を果たすためのものです。私は小さくしたインターネットと考えていて、とても賢いやりかただと思って見ています。
activitypubにはそうした仕組みはなく、考えられていないように思います。いやこういうものがあるぞ、という人はいるかもしれませんが、そうではありません。設計前の思想や思考なのです。設計するときにそういったことを思考し、思想があったかなかったか。そういう話なのです。
activitypubはsnsのために作られたもの。atprotoはインターネット、つまり、人と情報はどうなっていくのだろうか、かつてこういう事があったから、こうしたほうがいいのではないか。そういう事を考えられて設計されたように感じるのです。
これがactivitypubは未来に耐えられないが、atprotoは耐えられる、みたいに表現する理由です。
これについて、今後、atprotoよりももっといいものがでてくるという意見が予想されますが、それは色々な点で難しいと思っています。1,2,3という時代で分けていることからも分かる通り、ある程度の期間が必要なのです。そして、一度当てはめられたら、それはその時代の終焉、つまり、非常に長い期間使われるものになるのです。そして、重要なのは根本的な部分はそんな変わらないということです。
atprotoがすごいのは、httpの置き換えすらも視野に入れているのではないかと想像できるところにあります。その場合、時代に関係なく使われるものになるでしょう。bsky.teamは野心家ですから、そのへんも考えている気がします。
多分、このへんでわけがわからないと思う人もいるだろうと思います。したがって、少しだけ私の考えを明かします。
```sh
https://syui.ai
at://syui.ai
```
想像できることは私の強みでもあります。しかし、何でもかんでも想像するわけではありません。現実的に可能な範囲で想像するようにしています。
その上でいうとactivitypubはtwitterの代わりになるかもしれませんが、httpの代わりにはなれないように感じます。atprotoはhttpの代わりになれるかもしれない。
比較対象がおかしいという否定意見を思いつく人がいるかもしれませんが、これは時代なのです。時代を超えれるか超えられないか。
この2つは、そういった差なのです。これを大きいという人もいれば小さいという人もいると思います。大したことではない、なんの意味もないと考える人もいるでしょう。
ですが、私にとってはこの差は大きく、意味がある。とはいえ、本当は小さいんですけど、ここで何度も言っているように、小さいということは大きいということでもあるのです。最も小さいものが世界を創り変えていく。この世界はそういうものです。
そして、当時はそういう事に気づかない。小さいので誰にも見えないし、気にもしない。
atprotoは本当に些細なこと、誰にも気にされないような小さなことが驚くべきほど考えられているように感じます。
先ほど、atはhttpを置き換える可能性すらあると言いましたが、どのように感じましたか。よくもそんなたいそれたことを、そんな巨大なもの置き換えられるはずないだろ。
そう考えた人も多いのではないでしょうか。
ですが、httpって本当に大きく変えようがないほど巨大なものでしょうか。
それは小さくシンプルで単純なものではないですか。どうでしょう。
httpはシンプルなものです。atprotoもシンプルなものですね。
そして、この2つのどちらを使うにしても変わらないことがあります。
それは「人はどのように情報を得ていくのだろう」ということ。
私のようなものの見方をする人間にとって、httpもatもそう変わらんのです。そして、似てるところがあるんじゃないってのが個人的な意見です。
`at://`のほうがurlが短くなるので、そっちのほうがうれしいなって思いますよ。