diff --git a/memo.md b/memo.md index ae9d0c1..1878078 100644 --- a/memo.md +++ b/memo.md @@ -808,13 +808,13 @@ protocolは宗教や通貨に似ています。多くの人に広めたほうが 性格診断は科学的根拠がないとよく言われる。けど、性格に科学的根拠などあるはずがない。これは医療分野にも言われることだけど、医療分野も多くが考える科学的根拠はない状態といえる。 -例えば、科学的根拠があるワクチンがあったとする。100人が接種して、20人に効果が見られ、60人には全く効果が見られず、20人に予期せぬ副作用が出た。つまり、100%こうなるというものではない。「診断」とあるものはそのことが前提になる。そもそも性格の定義も人によって異なるものだし、評価も異なる。そういった分野に科学的根拠を求めることは無粋だと思う。 +例えば、科学的根拠があると宣伝されているワクチンがあったとする。しかし、100人が接種して、20人に効果が見られ、60人には全く効果が見られず、20人に予期せぬ副作用が出た。つまり、100%こうなるというものではなかったのだ。「診断」とあるものはそのことが前提になる。そもそも性格の定義も人によって異なるものだし、評価も異なる。そういった分野に科学的根拠を求めることは無粋だと思う。 心理学全般や心に関することは、ほぼすべて科学的根拠がないと思ったほうがいい。よく有名な心理学の実験が例に出されることがあるけど、私は科学的根拠はないと思っている。どんなに厳重に管理され統計されてもやはり最終的に心の問題は科学的根拠を提示できない。科学的根拠とはなにか。それはa=bである、aはbになる、そのような結果や図式のこと。これを因果関係という。 -その関係性が100%のとき、人はそれを科学的根拠があると考える。現代科学では体や心の問題は全然達していないし、直近での見通しもないと考えている。 +その関係性が100%(99.9%)のとき、人はそれを科学的根拠があると考える。現代科学では体や心の問題はわからないことだらけで個人差がありすぎる。直近での立証の見通しはないと考えている。 -そして、その程度のものを盲信するのも危険と言える。100年前も科学的根拠に沿った生き方をした人間がたくさんいた。しかし、今見るとすごく滑稽に映ることがある。おそらく、100年後の未来も今を見てそう思うのだろうね。だからまあ、世の中わからないことだらけってこと。それを肯定する根拠もないが、否定する根拠もない。 +つまり、現代科学も全然未発達で完璧なものではない。その程度のものを盲信するのも危険と言える。100年前も科学的根拠に沿った生き方をした人間がたくさんいた。しかし、今見ると滑稽に映ることがある。おそらく、100年後の未来も今を見てそう思うのだろう。だからまあ、世の中わからないことだらけってこと。性格や心の問題は、それを肯定する根拠もないが、否定する根拠もない。 ## nostrについて