1
0
hugo/content/post/13-note.md

66 lines
5.5 KiB
Markdown
Raw Normal View History

2024-04-23 13:21:26 +00:00
+++
date = "2021-07-01"
tags = ["note"]
title = "何者か"
slug = "13"
+++
> あなたは、何者かになりたいと願ったことはありますか?
>
> 今回はこの問について、自分なりに考えていきたいと思います。
私は、何者かになりたいと願ったことはありませんでした。
そう願う人を否定したいわけではなく、私には自分なりの考えがあったからです。
何者かになりたい、というのは、その考えにそぐわない。
私の考えは、主に存在について。
私も存在であり、この世界に存在でないものは一つもありません。人も動物も虫も植物も、そのへんに転がっている石すらも、すべてが存在です。
私の考えでは、人と他のなにかには違いがありません。本来的にはすべてが同じもの。
ですが、人であるうちは、それを認識することは難しいかもしれません。
話を戻します。
今回の問について考えると、私はこう問います。
「あなたは、何者かになりたいと願ったことはありますか?」
「あなたは、存在です。そして、存在はこの世界そのもの。それでは不満ですか?」と。
しかし、この答えについては、実はとても難しい問題です。
私の考えに基づくと、生というものは、往々にして苦痛であり...といっても人であり、先進国にたまたま生まれたような人間にとっては理解が難しいかもしれませんが、しかし、我々が生を繰り返すのであれば、当然ながら、貧困国に住まう人々や出荷される豚、実験動物たち、その他の残酷な人生を送ることになるので、かつ、それが永遠に続くので、「存在であることは不満である」と答えても、なんら不思議ではありません。
おそらく、現存する宗教のいくつかは、このような価値観を持つのではないでしょうか。
例えば、反出生主義というものがありますが、あれも実のところ、正解を孕んでいる問題だと思われます。ただ、存在である以上は、非存在になることは不可能です。解脱や離脱が可能なら、それを輪廻や永遠とは呼びません。
本当に永遠なんてものがあるのか、という点については、私なりの考えがあります。
これは以前にもお話した事があったと思うので、簡潔に説明すると、
存在は存在している以上、永遠です。なぜなら、無から有は生まれないから。有から有が生まれるとしたら、この世界には最初から有があったということになります。そして、最初から有があったとしたら、それは、永遠です。なぜなら、始まりがあるものには終わりがありますが、始まりがないもの、つまり、最初からそこあったもの、有には、始まりがないので、終わりもありません。これが存在です。私の考えでは、これを最も小さいものと仮定します。最も小さい物質とか、あるいは、目に見えないけど、そこにあるものとか、呼び方は何でもいいですけど、それのことです。宇宙広しといえど、我々はそこにアクセスできない。おそらく、正体も掴めないものなのでしょう。そして、それが、おそらく永遠を構成しています。我々の、この世界そのものの、永遠の存在を。
生が繰り返されることについても、ほぼ間違いないと思います。今この瞬間に存在している確率が低すぎるのです。これが偶然じゃないとすると、私は、みなさんもそうですけど、今まで姿かたちを変え存在し続けてきたのでしょう。これからもそうで、私は、今はたまたまこのような形で存在しているというに過ぎません。最終的には、もとの形、つまり、最初からそこにあったなにかに還ることになるのでしょう。これは私に限らず、世に存在するすべてがそうですけど、仮にそうであるなら、存在は、この世界そのものということになります。
存在は存在であることをどうしようもない。
私は私ですし、あなたはあなたです。本来的には同じものですけどね。
ですから、私は、何者かになりたいと願ったことはなかったかなと思います。
しかし、私がこのように考えるのも、実はたまたまなんです。
どういうことかというと、人生というのは、どういう星の下に生まれるかによって決まります。ですから、私はたまたまこの星のもとに生まれ、このような考え方を持つけれど、それは、たまたまに過ぎないのです。特に意味があるわけでもない。
おそらく、私も、というか、そもそも私というものは本来ないんですけど、分かりづらいので私ということにしておくと、私も様々な星のもとに生まれ、色々な考えを持ってきたのでしょう。それはこれからも変わりません。
つまるところ、「何者かになりたい」と願うこともあれば、願わないことも、そういった人生もあるのでしょう。
ですから、これについても、私の考えが特に意味をもつわけではないのです。