+++ date = "2017-03-03" tags = ["private"] title = "人権享有主体性など2" slug = "private" +++ ...このシリーズ、まじめんどいので、どうしようという感じで思っています。 頭の中でなら、六法(刑事系、民事系)の主要論点で大体どんな感じのものがあるのか、そして、それがどういった感じの事案で、どのような条文が使われ、どのような規範を使って、どういう結論が導かれるのか、1,2時間くらいあればざっと流すことができるのかもしれませんけど、しかし、実際に書くとなると全然違います。すごい時間がかかってしまう。 文章が長くなりがちで、時間が思った以上にかかる。かかりすぎる。時間ない。かと言って手抜きしすぎると何言ってるか全くわからなくなりそう。 また、音声入力をやってみようかなと思ったけど、この分野だと、漢字がうまく変換できないことが多く、漢字が上手く変換できないと何言っているのか全くわからなくなってしまうので、難しい。まあ、継続することに意味があるので、できる限り続けていきたいとは思っているので、頑張ります(これ、本当にいつまで続くか分からんね)。 通常、人権主体は人間に限られるが、法人にも人権を認めたほうが紛争解決に資するので認める方向で考える。ただ、人間と異なる性質上、あくまでその性質上可能な限りで、という限定が付く。 これは、外国人も同様に考える。ただし、法人は人ではないが、外国人は人であるため、法人の場合よりも広く認められる方向で考えられる(13)。 何故それが問題になるのかというと、人権保障にも色々あったということなんだけど、外国人の人権共有主体性が認められるかどうかの論点がある事自体、否定的な考えも多いし、憲法は前文にて人類普遍の...と書いてあるため、認められて当然と考える説も有力で、この場合は論点にすらならない(適当)。 で、色々あったというのは、日本やアメリカの憲法ってとても古いので、いくつか不思議な条文が残っているところからの説明が分かりやすいかなと思うので、私はそっち方面から説明することにする。 不思議な条文の一つは例えば、24条。これは14があるにも関わらず、あえて男女平等(特に婚姻間の平等)と女性の人権を定めたものになってる感じなのだけど、過去の時代、日本では女性に人権は認められないようなこともあったので、このようにあえて規定したという歴史的経緯があり、名残が残っています。 先程、憲法の主体は人間だと言いましたが、これは全ての人間を意味するものでは本来ありませんでした(過去においては特に)。 例えば、成人の白人男性が作った憲法は、成人の白人男性のためだけのものでした。ここでは女性や黒人、外国人はその対象に含まれないことも十分に考えられることでした。とそんな感じの話。 とはいっても、今日においては人間であれば保障されない理由もないので、保障される方向で考えられています(通常は)。 以上 前に紹介したリンク先のテキストですが、実はそれに沿って進めていません。なので、この文章が何らかのフォローになっているかどうか全く分かりません。テキストをしっかり読み込んで進めるにはちょっと時間がかかりすぎてしまうと思われるため、相変わらず思いつく限りで思ったことを適当に書いています、すいません。 何かを参照しながら書くというのは、やっぱり時間がかかりすぎてしまう気がするので、難しいです。ただ、何書こうか迷ったときには参考にします(多分)。