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hugo/content/post/08-note.md
2024-04-23 22:21:26 +09:00

60 lines
4.6 KiB
Markdown

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date = "2019-12-11"
tags = ["note"]
title = "最も小さいもの"
slug = "08"
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> 私は人間が考える神というもの、あるいは宗教について、少し考えてみました。
人間が考える神様というものの多くは人の形でイメージされています。日本でよくイメージされるのは白髪のおじいさんでしょうか。
主要な宗教では、なにか大きいたった一つ、あるいは一人の神がいるというものが多いです。
私は、宗教にあまり詳しくありませんし、興味もありませんが、もし仮に神を定義付けるなにかがあるなら、たった一つだけ思い当たる節があったりします。今回はそのことを書いていきたいと思います。
とはいえ、私は基本的に「神なんていない」と考えています。人間が考えた、あるいはイメージしている神というものが、あまりに私の考えとかけ離れているためです。
私が考える特に興味深いものの一つに「素粒子」というものがあります。
皆様は、素粒子をご存知でしょうか?あるいは、原子でもいいのですが、要は、そういった小さな物質のことです。
中でも素粒子は神の物質と呼ばれることもあるみたいです。
つまり、もし私に信仰というものがあるなら、多分、そっちだと思います。
仮に、この世界で神と定義付ける何かがあるなら、私は「この世で最も小さい物質」のことにするでしょう。
では、最も小さい物質とは一体何でしょう。最近見つかった素粒子でしょうか。
違います。
私が考える最も小さい物質は、素粒子よりももっと小さいのです。それよりも遥かに小さく、宇宙のはてのごとく、いや、それよりも果てしなく小さいだろうと考えています。
そんなものを見つけられるでしょうか。確かに、人類は素粒子というきっかけを得ました。しかし、難しいでしょう。もし宇宙人がいて、その中で最も発展した科学であっても、難しいのかもしれません。
人々は、それを「目に見えないもの」と表現しますが、確かにそこに存在しています。
そんな小さな物質に名前をつけるとしたら、私なら「存在子(そんざいし)」と名付けるかもしれません。
それがこの世界を構築し、私達を形作っています。あるいは、宇宙の外があるなら、その全てに繋がっていると考えています。
そして、最も小さいものは、この世界の循環にも作用していると私は思います。
では、この世界の循環とは何でしょう。
それは、生死に例えられ、または永遠がないことにも例えられます。ようは、始まりがあるものには終わりがあるということです。
ですが、最も小さい物質である存在子は、その唯一の例外で、始まりも終わりもないと私は考えています。なぜなら、その物質には、始まりがないので終わりもないのです。一般的には、それを神と呼ぶのでしょうか?
最も小さい物質の役割はおそらく、その名の通りで「存在し続けること」だと思います。
最初からそこにあって、だからこそ、始まりもなければ終わりもない。そういうものだと思います。
私は「何もないところからは、何も生まれない」と考えています。そして、この世界の始まりは、何もない「無」から、突然「有」が誕生したわけではなく、はじめから何かがあり、何かが存在したと考えています。
それは、宇宙のはてを旅して、ようやくたどり着いた星に隠されている真実などではなく、それは、どこにでもあるし、どこにもない。あなたの周りにもあるし、あなたの中にもある。ですが、目に見えないものだと思います。おそらく、それは最も小さい物質のことで、私は存在と呼んでいます。
存在は、どこにでもあるし、どこにもない。あなたの目の前にもあるし、あなたの中にもある。それは、あなた自身でもあり、あなた以外でもある。それは、すべてであり、それは、一つでもあります。私にとって、「存在」とは、最も広い概念であり、最も小さい概念でもあるのです。