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hugo/content/post/01-note.md
2024-04-23 22:21:26 +09:00

63 lines
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Markdown

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date = "2019-10-01"
tags = ["note"]
title = "生まれと育ちは同じもの"
slug = "01"
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> 「生まれ」と「育ち」は、一体どちらが重要なのでしょうか?
>
> 生まれのほうが重要である!いや、生まれより育ちのほうが重要だ!色々な考え方があります。そこで、私はこの問題について考えてみようと思います。
私には、生まれも育ちも、同じもののように感じます。
最初はまず、生まれについて考えてみたいと思います。
どのように生まれついたのかは、とても重要です。なぜなら、それによって人生の殆どの部分は決まってしまうからです。
それは、偶然であり、必然ではありません。今の所、人間がコントロールできるものではないからです。
子供について考えてみましょう。人と人の間に生まれた子供は、人間としての人生を歩みます。猫の子供は、猫としての人生を歩むでしょう。子猫に、人間の言葉を教育しても、猫は話してくれませんでした。また、発達障害や精神障害など、生まれながらに持ちうる様々な障害について考えてみました。
これは、生まれが重要であるということを現しているのかもしれません。
次に、育ちについて考えてみたいと思います。
どのように育ったかは、とても重要です。
日本で育った子供と、紛争地で育った子供は、考え方から感じ方まで、全く異なります。ランダムの自然状態では、現れないような傾向が見られます。
これは、どのように育ったかが重要であることを示しています。
しかし、私は、生まれも育ちも、どちらも同じもののように思えます。
なぜでしょう。おそらく、どちらかが欠けても成立しないものだからではないでしょうか。
ただし、人間が考えるべきは、「育ち」、つまり、育てかたの方だと私は考えています。
どのように生まれついたかは、変えることができません。ですが、育てかたなら変えることができるのです。
変えることができないものをいくら考えても仕方ありません。それよりも、より良い環境を作っていくことに注力したほうが合理的です。
確かに、「育てること」や「環境を作っていくこと」の努力と時間は、途方もないものだと思います。環境を変えるというのはそういうことなのかもしれません。これは大変なことです。しかし、人間は、これまでも、これからも、より良い環境を目指し突き進んでいくと私は信じています。世の中は、これからも良くなっていくと思います。
最後に、「生まれ」についての私の考えを書いて終わりにしたいと思います。
私が考える「生まれ」は、普通の人が考えるそれとは少し異なります。
普通の人が考える「生まれ」には良し悪しがあります。家柄や国柄、その他の優劣がつけられています。多くの人々が、表面上は気にしないふりをしながら、しかし、心の奥底では、誰が作ったかもわからない優劣を信条に暮らし、その信条を持ったまま人生を終えます。
しかし、私の基準はそこにはありません。普通の人が考える生まれの良し悪しというものは、私にとってどうでもいいことです。
私はなぜ、「生まれ」が重要であることを理解しながら、それを考慮しないのでしょう。
その理由は、おそらく、私の基準にあります。私は、たった一つ、心というものを基準に物事の善し悪しを考えます。
「心」と聞いて、笑われてしまうかもしれませんが、それでも、その人の肩書や生まれ、家柄、その他一切に興味がなく、私は、私の目の前にいる人が、どういう人間か、考慮するのは、それだけです。
本当に大切なものは、その表面からは見えてこないのです。
私は、目の前にいる人を見ています。生まれも育ちも、関係なく見ています。生まれも育ちも、私にとっては、どうでもいいのです。だから、この2つは私にとって同じもののように見えます。
次は、心について書きます。