1
0
hugo/content/blog/2016-07-30-private.md
2024-04-23 22:21:26 +09:00

75 lines
6.6 KiB
Markdown

+++
date = "2016-07-30"
tags = ["memo"]
title = "読まなくなった話と雑な話"
slug = "private"
+++
## 読まなくなった話と雑な話
毎日更新されているブログありますよね。私も幾つか読んでいます。毎日ではないけれど気がついた時は読んでいます。
で、しっかりと読んでいますかという話ですが、私の場合は、要点だけ読みます。この話はここがポイントだな、言いたいことはなんだろうという視点で要点だけを把握して、ざっと視線を通して、思い当たるキーワード部分だけを捉えて、そのあたりを重点的に読みます。
大体は、このやり方でポイントや言いたいことは把握できます。が、把握できない時もあります。そういう時は、補足的に他の場所も読みます。
で、読んでいる人を引き付ける文章と読んでいるうちに面倒になってくる文章っていうのは、日頃読んでいて何となくあります。
この点、できる限り全部の文章に目を通させる文章というのが消費コンテンツとしての良い文章ということになるのでしょう。そう感じます。
消費コンテンツと言いましたが、役に立つ文章と役に立たない文章、生活の質を向上させる文章とそうでない文章っていうのは、どこが違うのでしょう。
思うに、役に立たない文章のほうが、先程述べた全部に目を通させる文章ということになります。矛盾しているようですが、日頃読んでいて、こういうのは感じます。
これがここで言う消費コンテンツと言います。役に立たない消費コンテンツとしての文章。だけど、娯楽としては十分に楽しめますし、その目的を果たしていると思います。
では、娯楽として楽しめるというのはどういうことでしょう。
皆さん、ゲームは好きですか?
好きな人もいるし、嫌いな人もいるでしょう。
だけど、ゲームというのは、いくらやってもあまり役に立ちませんよね。「いや、役に立つぞ」という人もいますけど、一般的な話として。
ゲームというのは娯楽の一種で、要はそのひとときを楽しめればそれでいいというものだからです。
ブログというのも、人気のあるものとかはこの消費コンテンツ、つまり、娯楽として機能するものが多い気がします。
では、どうやって文章を娯楽として機能させるのでしょうか。
一つは「滅茶苦茶なことを、説得的に論じる」という方法で、一つの娯楽として機能させることができると感じます。
例えば、滅茶苦茶なことを説得的に論じている文章って、やっぱり気になりますよね。「ふーん」と思わせるより、「正しい」と思わせるより、「何言ってんだ!」と思わせたほうが、消費コンテンツとしては人気が出るように思います。
私自身、ついつい読んでしまうのが、「隙のない文章」や「完璧な文章」、「本当のことを書いた文章」より「嘘八百で突っ込みどころ満載な文章」のほうです。これは、炎上商法と通じるものがあります。
これを意図的でないにせよすごく上手くやる人もいるように思います。生まれつきなのだろうか、これは。
反対に、ついつい読み飛ばしてしまうのが、「おおよそ正しいことを書いた文章」であったり、「あまり矛盾がない文章」だったりすることが多い気がします。
特に、本当に賢い人が書いた文章は、進んで読む気はあまりしませんよね。
例えば、偉い人が書いた本とか娯楽として進んで読むというよりは、何かに役立てよう、生活を向上させよう、能力開発に使おうなどと考えて読むことが多いのではないかと思います。
現実でも、本当に賢い人が書いた文章というのは、なんとなくつまらない雰囲気を漂わせていることが多い気がします。これは、たまにすごいエンジニアの人が書いた文章とかを私自身読むのですが、やはり継続的にその人が書いたものを読もうという気は起きません。
何故かと言うと、一言でつまらない。正しくて、そして、つまらない。
したがって、多くの人に読まれたいなら、私は間違うのも一つの手ではないかと思います。
でも難しいですよね。わざと間違えるなんて、普通は無理です。やろうとさえ思いませんし、何よりなんとなく恥ずかしいです。
でも、私が面白おかしく読んでいる文章というのは、こういう種類のものが非常に多いなあと改めて感じました。そして、読み飛ばしが少ない文章も、やっぱり内容的には滅茶苦茶なことを言ってて、そして、大半は間違ってるんですよね。書いてる人も数年後読みなおしたらかなり恥ずかしいと思うんだけど、それを平気で、そして、恥ずかしいとも思わず、堂々とやっていて、そして、それに気づいていないというのが、消費コンテンツを作り出す才能というものを感じさせます。
私自身、色々なブログを読んでいて、その中でも成長していく人はいます。多分、そういう人は現実的にもかなり成長していて、しかし、だからこそブログが滅茶苦茶つまらなくなっていくのだと思います。
そう、成長していく人のブログは段々とつまらなくなるのです。
私が把握しているだけでも最近、いくつか昔よりも圧倒的につまらなくなったものがあります。
そんな中、まったく成長が見えず、全く進歩していないであろう人のブログはやっぱり読んでいて面白い傾向にあると思います。
面白い文章を書こう、読まれる文章を書こうとした場合、滅茶苦茶なことを堂々と断言するというのは一つの手だと思います。かなり有効な手段です。
でも、これが一番難しいことだと思います。数日はなんとかできたとしても、継続してそれをやるには、やはり、個人的な問題、特に、性格などの問題が最も重要になってくると思うからです。