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hugo/content/post/21-note.md
2024-12-21 22:23:54 +09:00

40 lines
2.0 KiB
Markdown

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date = "2024-08-02"
tags = ["note"]
title = "一つと哲学"
slug = "21"
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ここに書いていることは何の根拠もないように思えますけど、終局的には自身の哲学的な考えから導かれるものです。
今回はそんな話。
例えば、私は最も小さいものを存在の意識と言いました。あれはどういった原理から導かれるのかというと、「すべてのものに意識が宿る」という考えからです。
すべてのものに意識が宿るなら、この世の最小単位にも意識が宿るはずです。
そして、この世界の最小単位とは、すべてのものを削ぎ落としたものであるはずなので、そこには意識だけが残る。
それがどのようなものかというと、この世は存在の世界なので、存在の意識だけが残る。
これが私の考え方です。
次にお伝えしたいのは「すべてはひとつ、ひとつはすべて」という考え方です。
私は色々なことを言いましたが、人間が解明していない事柄についても多く言及しています。
例えば、この世界にはもっと小さい単位が存在している、ということです。
なぜか。理由は簡単です。それは「すべてはひとつ」だから。
つまり、私達は色々と小さい単位を見つけ出しています。沢山の種類があります。でも、それらを構成するものを見つけられていないのです。
意味はわかりますか。言いたいことは伝わっていますか。
世界というのは広がりです。広がったものはもとを辿れば一つのものに行き着きます。
いやいや一つではないぞ。たくさんあるぞ。そのような考えについても理解できますし、実際そうなのですが、私が言うのは終局的という意味です。
ここが哲学的なのですが、私は終局的なものをひとつとみなす、ということです。