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hugo/content/post/16-note.md
2024-04-23 22:21:26 +09:00

108 lines
5.3 KiB
Markdown

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date = "2022-01-23"
tags = ["note"]
title = "果てのない夢"
slug = "16"
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> 今回は、果てのない夢について書いていきたいと思います。
>
> 果てのない夢のその先へ。
### 物語
物語は唐突にはじまります。
ある文明の頂点に達した生命体。その生命体は、ある2つの巨大意見に分かれ対立していました。
対立しているものの、それぞれ目指す場所は同じようでした。
その生命体が夢みたのは「自らがどのような存在になるか」だったからです。
一方は永遠の存在を、もう一方は永遠の非存在を夢みたのです。
これを果のない夢とそう呼ぶことにします。
おしまい。
### 解説
たった今作ったお話を少しだけ解説することにします。
私はいかなる文明も最終的に望むことは一つだと思っています。
ただ、その方法については、よりこの世の摂理(原理)を理解したものになるだろうと予想します。
望むこと。それは「永遠」です。
そして、この永遠を得るための唯一の手段として考えられたのが、ある2つの意見だったわけです。
では、それぞれの意見について内容を見ていきましょう。
まず私は、この世のすべてには何らかの意識が宿っている可能性があると考えています。
そのことを前提にお話するのですが、この世で最も小さい物質、最も小さい存在には、いかなる文明も触れられず、それだけが永遠を構成しています。
これは、消えることもなければ、崩壊することも、非存在になることもありません。この「最も小さいもの」の作用は、ただ存在することのみ。それだけです。
しかし、この最も小さい存在なくして、いかなる存在も成り立たない。この世界は、これにより構成されています。
ですが、その上からの存在領域になると、そこからは永遠というものはありません。
生と死、誕生と崩壊、再生と破壊、あるいは循環を繰り返すだけです。
ここで考えてみてほしいのですが、すべての存在に意識があるなら、その最も小さい存在にも意識はあるのだろうか、その意識とはどんなものなのだろうか、と...。
私はこれを「存在の意識」と呼んでいます。
ただ、人間には「神の意識」と表現したほうがわかりやすいかもしれませんね。そういったものであると考えてください。
話を戻して、その上の存在領域には永遠はなく、生と死を繰り返すことで、ランダムに自らの意識を宿す。
ですが、仮に「最も小さいそのもの」に自らの意識を宿すことができたらどうでしょう。
今回は、それを目指した文明のお話です。
宇宙文明、と言っていいのかわかりませんが、極地に達した特殊生命体は、上のような可能性にたどり着き、そして、ある地点まではそれを目指すことになると私は予想しています。
これが対立する2つの意見のうちの一つとなります。
もう一つの意見は...長くなるので飛ばします。
簡潔に述べると、宗教的には、輪廻からの解脱と呼ばれるのでしょうか。あまり詳しくないのでわかりませんが、実は上記と同じく不可能なものだと考えられます。
それを阻むのは、同じく「最も小さい物質」の存在です。
というのも、存在とは、存在している以上、存在で有り続けるしかない。
最も小さい存在の作用は存在し続けることであり、すべてに敷き詰められ、それは、どこにでもあり、どこにもない。
置き換わることもなければ、成り代わることもなく、消し去ることもできません。
文明レベルにおいて、その存在は認識すらできない。
極限の文明レベルにおいても、それがそこにあるだろうと推測できるだけ。アクセス不可能。
なぜなら、それは存在するけど、存在しないものだから。
この2つの意見、どちらが正しいわけでも、間違っているというわけでもありません。
しかし、どちらも叶わない願い、果てのない夢だと私は思います。
ですが、文明というのは姿かたちを変え、それを目指し続ける。
私は、この世界は、そのままで正しいと思っています。
あるがままで正しく、何かをする必要がないのです。
例えば、すべての存在は、そのすべてが終わると思われたその時、この世界そのものだったことを理解できると、そんな風に思っていて、すべてはひとつであり、ひとつはすべてです。
仮にそうだとしたら、その願いや夢は既に叶っているのかもしれません。
あなたは、存在であり、この世界そのものです。それでは不満ですか?
文明は、不満であると答え、私は、何も答えません。
そして、文明の答えは正しいし、間違っているわけでもありません。