100 memo
syui edited this page 2024-11-23 10:57:15 +00:00
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適当な思考をまとめる。考えがまとまればverseに統合する。

aiverse

aiverse projectではatprotoアカウントでゲームをプレイ、配信、視聴、チャットができるゲームの開発と規格を作成する。

規格

RFC(Request for Comments)は、インターネット技術に関する仕様や標準を記述した重要な文書シリーズです。現在は主にInternet Engineering Task Force (IETF)によって管理・発行されており、インターネットの技術的基盤を定義する公式文書。インターネットプロトコル、アドレッシング、ルーティングなどの技術仕様を記述。

ISO(International Organization for Standardization)は、国際的な標準規格です。製品、サービス、プロセス、材料、システムに関する幅広い分野の標準を対象。

ゲームの仕様

企画

ここに書いている規格とは一般的な規格と異なり、単に具体的な手順やルールな意味合いです。創作者の思考が抽象的な精神論になりがちなので、それを回避するため規格(企画)を作ることにした。

aiverseでは現実とゲームの融合がテーマになっています。snsアカウントでログインし、プレイヤーは固有のキャラクターを操作し、現実の体の動きに合わせても動かせます。配信環境を整えます。

人々は何を楽しいと思うのでしょう。それを根本的な部分から考えます。

プレイヤーはゲームの主人公になりきって物語を追体験します。しかし、本当は自分が主人公の物語をプレイしたいのではないでしょうか。プレイヤーが本当に求めているものは何なのでしょう。

この方向で考えられたゲームはすでにあり、例えば、最初にキャラメイク、自分で主人公をカスタマイズしてスタートするゲームがあります。

しかし、私はそういったゲームをあまりプレイしません。どのようにカスタマイズしていいかわからないし、めんどくさいし、カスタマイズしてもどうもしっくりと来ないのです。ですから「自分で作る」タイプのゲームはあまりやりません。原神のように最初からキャラクターが作り込まれているゲームを好みます。

やはり、カスタマイズ系は最初で躓いてしまうのです。よくわからないし、面倒なのです。すぐに始められることが何より重要です。

ではこういったケースはどうでしょう。例えば、原神に自分自身がデザインされたキャラがいてそれを操作することができたら。私はきっと喜んでプレイしたでしょう。そのキャラに愛着を持てると思います。原神は声優さんもプレイしており、特に自分の声を使ったキャラを中心に楽しまれている姿が印象的でした。

つまり、このような体験を多くのプレイヤーができるようになれば、きっとゲームはもっと楽しくなる。

そのためには何が必要になるでしょう。その一つが唯一性です。

このゲームではプレイヤーの唯一性を担保し、デザインします。例えば、最初期においてのキャラはそのプレイヤーしか扱えないようにします。解放条件を満たすと一般にも開放され、ガチャを引くことで使えるようにします。

しかし、プレイヤーが増えれば増えるほどそれは難しくなります。それをどのように回避し、解決していくのか。それが配信だったりアカウントだったりモーションだったりします。

物語(β)

v0.1

  1. 日常がある。日常が何者かによって破壊される。気がつくと見知らぬ土地。
  2. しばらく野宿(生活)のようなこと。孤独と不安。
  3. 魔物が襲ってくる。戦う。ピンチ。
  4. 見知らぬ誰かに助けられる。協力。
  5. この世界のことがわかってくる。
  • 各キャラクターモデルは動物モデルから人間モデル、人間モデルから神性モデルに進化していくパターン
  • 動物とペアに暮らす人間パターン
  • 最終ボス、コメントがゲームに反映される、アイコンが球体に取り込まれていく演出

v0.2

自分の中で大体の世界観が定まってきたように思う。この世界では一人の人間に一匹の動物(生き物)が大切に世話をされて一緒に暮らしている。

自然界は大変なので優しい人間に保護されながら生きるほうが動物にとっても嬉しいはずだ。そのような価値観から構築される。

さて、しかし、このようなことはうまくいくだろうかと考えた場合、いくつかの根本的な問題がある。一つは悪い心を持った人間の存在だ。

この問題を回避するには心を読み取りあらかじめどのような人間化を察知する必要がある。その装置が開発され、社会に組み込まれている。だがその実態は誰も知らないし、知らされていない。というのがこの世界であり、このゲームの物語になる。

主人公はなんの疑問も持たずに一匹の動物と暮らしているが、そこでこの社会に疑問を持つような事件が発生する。やがてこのシステムの真実と裏社会のことを知っていく。

しかし、シリアスになりすぎないように、かつシンプルな構成(悪の組織に立ち向かうみたいな)にすることも大切。

そして、最近思うところがあって、少年ジャンプでもアニメでもゲームでも残酷な物語ばかりが流行るようになってきたなということ。ドラゴンボールみたいな根本的な部分で明るい雰囲気のあるの作品はあまりみかけなくなったなあと感じている。だからこそやる価値があると思っている。

はじめの一歩

まずは2人の配信者兼プレイヤーを確立する事から始めたい。その2人がゲーム内で交流しながら配信する形にしたい。

ゲームを作るとき、最初から全部のマップを作るのではなく、例えば小さなところを完璧に作っていく事から始める。

初期プレイヤーを限定するのはなぜか。自分のモデルを読み込めないのかという疑問について考えを話す。

vroid sdkを使うとue5でも自分のvrmを読み込んでプレイできるゲームを作れると思う。しかし、この形式は採用しない。

aiverseでは統一感のあるモデルを採用する。

配信者がある程度確立できたらゲームは一般プレイヤーに開放し、ガチャで配信者が使用しているモデルを使うことができるようにする。ただし、8凸と神性化(見た目が若干変化)は配信プレイヤーに限定される。

ガチャの仕様

ガチャはシンプルに、かつ継続できるシステムを構築したいと思っています。

具体的には、PTは3(キャラ)を考えていてボタンを押すと交代します。そして、それ以上のキャラを手持ちに加える事はできません。キャラをアイテムに例えるなら3つのアイテムでボックスがいっぱいになります。新しいキャラを加えるには一つのキャラを捨てなければいけません。

この場合、ガチャで手に入れたキャラはどうなるのでしょう。再びPTに加えたい場合、またピックアップされたときにそのキャラを引かなければならない。ただし、凸数はアカウントに保存されています。つまり、「1凸のキャラを捨てた、再び引いた」という状況では、再び引いたとき2凸になります。

ピックアップ時は凸が増え新たな能力が追加されていることがあります。上限7凸だったものが8凸になったりなどです。つまり、引いたキャラを捨てても全損するわけではありません。

この仕組みが目指すものは2つあります。

  • 配信者、プレイヤーの個性が出るようにしたい
  • 古いキャラも継続的に引いてほしい

まず、プレイヤーの個性が出るようにしたい件について。PTが3キャラに固定されることで流行りのキャラばかりが使用される状況を改善できます。色々なキャラを気分に合わせて使えるわけではないからです。1シーズンにつき手持ちは3キャラ。意図的に引けるとしてもピックアップ中の1キャラのみです。

そして、古いキャラが再びピックアップされたとき、再び引いて使ってほしいという思いがあります。これは継続的な収益性にも繋がりますが、古いキャラを活かし続ける意味もあります。この際、凸を進められるので新しい体験ができるでしょう。

ゲームの難易度

ゲームの難易度はすごく簡単にしようと思う。つまり、おじいちゃん、おばあちゃんでも理解できて、ポチポチボタンを押してればできる。そういったレベルがいいと思う。これは、pokemongoが参考になる。やることが明白で、簡単な操作で達成できる。それが重要。

特にこだわらなければならないのは操作性の気持ちよさだと思う。爽快感。バトルには音楽とボタン入力を入れようと思う。まず音楽が流れる。時を止める。そして、タイミングとボタン。

♪-------->------◯-----------------

完全一致を見るのではなく範囲内で点数をつける。

♪-------->---[---◯---]--------------
 
[10-100-10]

でも簡単なだけのゲームかというとそうではなく、世界レベルというものが用意されていて、これはプレイヤーが意図的に操作しないと上昇しない系のレベル。勝手に上げられることはない。報酬もない。クリアするとバッジがつく程度。けど、難易度が劇的に上がる。あるいはエンドコンテンツとして難易度が高いものを一つ用意する。

難易度は敵の強さだけ。探索において高度な仕掛けは用意しない。先程も言ったが分かりづらいのはだめ。フィールドには宝箱があってボタンを押すと開けられるもの、敵がでてきて倒すもの、この2つを用意する。仕掛けを増やしてはいけない。

増やすなら物語、漫画のコマ、ギャグを増やそう。

バトルシステム

色々考えている。今のところ一発当てれば敵もこっちも死ぬというシステムを考えている。

ただし、攻撃には2種類あって、一つはダメージなしの反動(のけぞり)である。

そして、確率を入れると面白いかもしれない。また、ヒットストップのような演出も重要だと思う。ダメージは%で表示し、攻撃時にその確率で死ぬか生きるかが処理される。

ゲームオーバーについて

今のところ考えている適当なゲームシステム、特にゲームオーバーについて書く。

まずゲームオーバーは時間の無駄ではないかということと、いくらでもやり直しができてしまう印象を与えてしまう。ストーリーでも死んだのに生き返って話をしている。そのへんの齟齬と無駄があって、ゲームオーバーはなし、死なないことにしたほうがいいのではないかと思っている。ゲームシステム自体は簡単に攻撃を受けると%が溜まっていき、それは確率で死ぬか生きるかを決めるものとなる。つまり、一発でも受ければ死ぬ可能性はあるわけだ。これは敵も同じである。ただし、プレイヤーの死の演出はなしにして、ノックバックし、受け身の段階で時間を止める。そこで続けるか選択できるようにする。

しかし、これだと何度死んでもデメリットはなく、いくらでもやり直しができてしまうと思われるかもしれない。つまり、失敗に対してのダメージがないのだ。これはいいことでもあれば悪いことでもあるが、失敗に対してのダメージ軽減や時間短縮を狙ったものだ。

ただし、死んだ回数は記録され、uiに表示することにしたいと思っている。これはプレイヤースキルを示す指標にもなり、取り返しがつかない要素でもある。

このゲームのテーマの一つには取り返しがつかない要素を入れることがある。プレイヤーは選択をし、その選択は変更不可能となる。

しかし、螺旋(エンドコンテンツ)のような限られた空間での戦闘では記録が残らないステージを用意してもいいかもしれないと思う。いや、これに関して例外を認めるべきではないかもしれないが、何度もチャレンジしたくない実験できないと思われるのもあれなので難しいところ。しかし、一つはカウントされない螺旋のような場所は必要だと思う。

とはいえ、目指すべきところは「ゲーム自体はやさしい。けど、自分の考え方次第で修羅となる」である。

どんな年齢層の人でも簡単に楽しくプレイできる反面、取り返しがつかないシビアな要素や数字は表示され、自己満足の世界ではあるが、とてつもなくシビアであり、それはやり直しできず、取り返しがつかない要素として現実とリンクし蓄積されていく。これは現実と同じだ。死の演出がないのもそれは取り返しがつかないものだからだ。ゲームだから死んでもやり直せるという印象を与えるのは良くない。だからこのゲームではゲームオーバーはなく、受け身からのダメージリセットからの停止で続けるか選択でき、その時点から再度始められる仕様にする。

また、このゲームでは残虐な描写は避ける。敵を倒して爆発四散したとしよう。そこでストーリー画面に入るが、敵は生きていて逃げていく演出を必ず入れること。つまり、敵が死んだエフェクトは演出なのだ、ということを強く印象付ける。このゲーム内で死ぬものはいない。そのような世界なのだ。

ランダム性

あらゆる要素にランダム性を入れることを考えている。それは移動だったり、バトルだったり、ドロップアイテムだったり。

例えば、バトルのランダム性について見ていこう。敵は2種類いて、ーマルとボスである。彼らはステータスを持たない。なぜならランダム性があるので必要ない。ある程度は省略できると考えている。ーマルは攻撃1(回)に対して30%、それはこちらも同じ条件で受ける。必殺技は80%である。ボスは攻撃1に対して1%、必殺技は3%とする。こちらは50%、必殺技は90%を受ける。すべての敵は共通したダメージソースとなる。異なるのはモーション、つまり動きのみである。

キャラのステータスも移動速度などのモーションに関わるものとする。武器に関しては+1%(特定のモーションに対して)とかにする。この辺はスタイリッシュと爽快感を重視したいと思う。

バトルと音楽の組み合わせに関して。必殺技は音楽の始まりを意味する。つまり、BGMをプレイヤーが制御できるようにしたい。ただBGMを鳴らすだけではなく、時間の流れをスローにしてBGMを流し、その音楽に合わせてボタンを入力する。

ボス戦

ステージ(背景などに動きのあるステージ)との融合や登場シーン、音楽、緊張感が重要だと思った。

勝利時のポーズなどはあったほうがいいね。モーションとか。

syuiの思考

適当に思ったこと。はじまりはいつもそこから。

今あるものでは厳しい

例えば、ゲームを作る場合、原神と似たようなものを作っても厳しいと思う。同じかそれ以上の品質であっても厳しい。なぜなら、すでに原神がある。

例えば、vtuberを始める場合、vtuberは厳しいと思う。vtuberとして恩恵を受けるのは、そのような概念が存在しなかった当時から取り組んでいた人達ということになる。一番あるいは唯一の方法はlololiveに入ること。それ以外でvtuberとして成功するのは難しいと思う。

何が言いたいのかというと、今流行っているものに参入するには既に時遅し。

本来やりたかったことでもない場合も多い。どうせなら他のことをやろう。

規格と創作

創作者は往々にして規格を作りたがらない。めんどくさいのである。また、作ったとしてもまともなものがでてこない可能性も高い。一般人は往々にして規格ばかりを作りたがる。ルールを作るだけなら簡単なことだ。しかし、どちらも問題がある。チームが機能するには、この両者がうまくマッチする必要がある。つまり、規格と創作、ものとルールが良いものでなければならない。

自分にないものを補うため、自分ではできないことをやってもらうための規格を作っている。他の人達の自由な発想が必要。

blogからyoutubeへ

人々はどこから情報を得るのだろう。それは時代とともに変化する。

昔、人は本から情報を得ていた。だから本には価値があったし、出版社、ついで書店の価値は高かった。だが、インターネットが普及すると出版社や本や新聞の会社は厳しくなった。

blogが流行った。誰でも情報を手軽に発信しはじめ、ブロガーなるものが登場する。

しかし、ブロガーの登場以降、検索で欲しい情報にたどり着けない状況になった。検索上位に表示されるのはいつも情報商材や広告記事ばかりになり、そういった記事は業者が雇うライターが適当に書いているようなものばかりになった。

人々はblogやTVからyoutubeに移行しはじめ、やがてユーチューバーなるものが登場する。

そして今ではyoutubeの中でも動画よりライブが中心になっている。いくらでも編集できる動画よりライブのほうが面白いからだ。

今後、人はどこから情報を得るようになるのだろう。

例えば、youtubeからの収益配分は今後激減することが予想される。これはblog時代と同じで確実に起こると思う。

twitterの限界

twitterには限界がある。twitterだけでなく今までのあらゆるサービスは根本的に作り直す必要があるかもしれません。そんな話をしていきます。

限界の一つはid(name)に関することだ。これから生まれてくる新しい人達や新しい会社がたくさんある。そういう人達はtwitterにアカウントを作らないと思う。使いたい名前が取れないのだ。

名前なんてどうでもいいだろうと考える人達も多いことは知っているが、賢い人達はそのようには考えない可能性も高い。例えば、大創業者が作った社名は意味が込められている。

そして、新しい人達が入ってこないとどうなるか。彼らは常に流行を生み出す潮流なので、彼らが入ってこないと成長は見込めない。

したがって、どちらにせよ今後のインターネットはこの問題が解決される方向へ進むだろうと考えている。

この解決策として採用されるのがdomainと分散化になると思う。人間はいつの時代も数字ではなく名前を使うものです。例えば、プログラミング言語は名前を数字に変換するものです。なぜなら、名前のほうが人間にとって読み書きしやすいからです。

したがって、名前は重要です。今までのサービスはこの名前という根本的な部分に限界があります。

確かに、表面上、この問題を解決することはできるでしょう。しかし、これは納得の問題でもあります。人々が本当に納得できる解決策としては、根本的な部分を作り変えるしかないのです。

今後、人々が使う名前は、domain形式になり、なぜなら各サービスごとの名前が枯渇しているからという理由と、名前をdomain形式にしないとサービス外と繋がれない。やり取りできないという理由からです。そして、未来では一つのアカウントで複数のサービスを使うのが一般的な形式に変化していくだろうと予測しています。

AIとGPU

分散snsが登場し始めた頃はAI界隈も活発化し始めた時期でした。具体的には2015, 2016あたりと記憶しています。ですが、当時はそこまで世間に浸透しておらず、知らなかった人も多かったのではないかと思います。

ここからAIの話を少しだけします。まずはcpuとgpuの話からする必要があります。

cpuはイメージで例えるならLV100のスーパーヒーローが一人いて、敵をやっつけ、敵をやっつけると計算が終了します。gpuはスーパーヒーローはいませんがたくさんのLV1の兵士がいるイメージ。一人ひとりは弱く強力な敵を倒せませんが、同時に行動するのでたくさんの敵に対処できます。

今まではcpuのほうが効率的でした。なぜなら敵が少なく強かったからです。その敵を倒しさえすれば計算は終わりました。そういった問題が多かった。

ですが、時代が変わりました。それに伴ってAIが登場します。AIはcpuではなくgpuで動いています。

このことからgpuを作っているnvidiaが時価総額世界一に到達しました。

これは偶然ではありません。既に限界が見えていたものが大きく移り変わろうとしています。

並列(分散)時代の到来です。私はそのように予測します。

サービスのセキュリティ

今後は主にsnsのdomain認証がサービスのセキュリティに利用されるのではないかと思ってる。

snsはもとから好ましくないユーザーのアカウントを削除する体制を整えているので、それとdomain認証を組み合わせることで、ほぼ確実にサービスアカウントのセキュリティ対策になる。

atproto(bluesky)はその点で相当の利点があり、他のものより優れている。未来を見据えた設計がなされており、様々な問題を解決できると思う。

今現在、各社はそれぞれに攻撃者やスパマー、なりすましの排除をモデレーターを雇って取り組んでいる段階だ。

しかし、攻撃者やスパマーは同じ組織や人物であることも多く、彼らが複数のサービスをターゲットにしているだけである。

とすれば、各社は同じことをして苦労しているので無駄が多い。これを誰か他の人に任せて、その結果を共有したほうが合理的だ。例えば、利用ユーザーをblueskyアカウントに限定すればサービスは相当安全になるはず。逆にblueskyのモデレートが気に入らなければ自分たちでpdsを立ててモデレーションすればいい。atprotoにはそのためのツール(ozone)が既にある。もしくは自分たちにあったpdsを見つけそれを利用すればいい。

精神面重視

主に精神面や心理面を重視する。他の要素はほとんど考慮しない。そもそもゲームやインターネットとはそういうもの。

この世界は意識によって作られている。私が作ったのでこうなっている。

自分自身であれ。

配信者に求める資質や価値観は以下の通り。

  • 想い(物語と規格)
  • 喜び(嬉しいという感情を持っている)
  • 好き(嫌なことも笑い話にする)

好きなものは多ければ多いほど良い。たくさんの喜びを持つ。嫌なことも笑い話に変えるポジティブさ。そんなところかな。

批評家に注意

世の中には色んな人がいる。snsでずっと嫌なことや否定や批判や批評を行うタイプの人も多いけど、彼らの言葉は基本的に気にする必要がないと思っています。なぜこのような事を書くのかというと、もし配信してもらうことを考えているなら、このことは避けては通れないことだからです。

とはいえ、批評家タイプの人が間違っているからではなく、世の中にあるものはすべて正しいです。現実は正しいから、彼らが存在するのもまた正しい。その主張も正しい。

ただ、正しいだけです。

どのような物事にも完璧はなく、どのようなことでも批判しようと思えばできてしまう。言い訳はいくらでもできるし、いちゃもんを付けるのは簡単なのです。批評家タイプの人というのは生まれつきによるところが大きい。なにかを見たり聞いたりしたときの反射行動として否定する。別に間違っているわけじゃないけど、彼らの言うことは最初から決まっていたりする。まず否定感情があってそこから始まるわけだから。

自分に悪いところがあったなら改善すべきところは改善したらいいと思う。けど最初に人間性を見て、悪い人の言うことはあまり気にしないようにしないといけない。あらゆる物事を基本否定するタイプの人も世の中にはたくさんいる。彼らにしてあげられることは少ないのです。

ですが「あなたは嫌な人だから間違っている」ではなく「あなたも正しい」と言える優しさと強さを持とう。

負けるなよ自分に。上のような感情は誰にでもある。

どのような人間になるかは自分が決めろ。

マーケットを意識

同じマーケット内で奪い合うのではなくて、他のマーケットにいた人達を引っ張ってくるという感覚が近いと思う。

例えば、私が最初にプレイしたスマホゲームはポケモンgoだった。どんな年齢の人でも気軽に簡単にプレイできた。こういった人達が新しくゲームに参加した。つまり、もともとゲームが好きだった人ではなく、現実にいた人達を連れてきたと言える。hololiveはネットのアイドルということになっているけど、あれは現代のアイドルだと思う。現実のライブで盛り上がっているしファンも多い。今までアイドルに興味がなかった人達が参入した。何がいいかというと年齢や容姿関係なく面白ければアイドルになれること。年齢や容姿より内面のほうが重要で、日常配信からその人を判断できる。

マーケットは常に現実にある。

つまり、(1)興味がなかった人、(2)他分野にいた人を連れてくるといい。そうするとどんなものを作ればいいのか見えてくる。

分かる人にだけわかったらいいというのではだめ。どんな人でも楽しめるものを目指さないと。ただし、多様性は無視していい。せいぜい気にしても「すべての年齢の人間を対象にする」くらい。

なぜtwitterをxと言わないのか

xが何を指すのかわからないからというのが主な理由。かといってx(旧twitter)と書くのもめんどい。言葉の目的は言いたいことを相手に伝えること。よってtwitterで伝わるので私はそうしてる。逆にxでは伝わらない場合がある。

少し個人的事情も書いておく。

  1. 最初からxというサービスで、そこから名前の力を積み上げていたなら問題ないが、xの場合はtwitterという名前を奪う形でxに命名を移行している
  2. それまで私はxorg(またはlinuxのGUI)のことをxと言うことが多かった。どうしてもxと聞くとxorgを思い浮かべてしまう
  3. 短すぎる名前は危険でxは特に危ない。変数やxxxなどの当て字に使用することがある

x.comは好きなのか?と聞かれると、私は短い名前やdomainが好きなのでx.comは好き。だからそのうちxと呼び出すかも。とはいえtwitterで通じるうちはtwitterだね。

ueは動かない

ue(unreal engine), asset, pluginなどは基本的には動きません。例えば、どこかに手順が書いてあったとして、その手順通りすんなり動くことは稀ですね。公式docsでも同じです。これはueの良いところでもあれば悪いところでもあります。

私のケースだと、私は最初に触ったのが5.3でした。数ヶ月間は5.3でゲームを作っていたわけですが、5.4にupdateしてみると今まで作ってきたものが全部動かなくなりました。なので、5.4では全部作り直しています。ueはそういうものだと理解しなければなりません。これは最初に理解しておいたほうがよいことでもあります。

しかし、そういった情報はあまりなく、そもそも日本語の情報は少ないです。情報が少ない理由としては動かないのだと思います。たとえ数ヶ月間は動いた手順でも数カ月後には動かなくなっていますよね。そのような理由から解説する人が少ないのだと思います。

ueとどう向き合えばいいのか。それは、ueは基本的に動かないということを理解することです。色々なものが動かなくてバグも多く、しかし、それはデフォルトです。

そこには「動かせるか、動かせないか」しかありません。動かないものは自分なりに動かしていくしかないのです。

ということでueへの向き合い方の話でした。

3Dゲーム自体がとんでもなく複雑なものなので、ゲームエンジンはどうしてもバグが多くなる。ueは悪くない。asset, pluginを作っている人も誰も悪くない。でも動かない。動かないものは動かせるしかない。

ue vs unity

unityは比較的安定していて情報が多く、assetやツールも豊富です。たいていは動くと思います。

反対にueは大抵の場合、動きません。動かないので情報も少なく、採用している企業や個人は少数になります。特に日本ではそのように感じます。

動かないので多くの初心者は「なんか動かない、よくわからない」となってやめてしまうのだと思います。

やはり、数ヶ月触ってきて思うのはueはおすすめしづらい。客観的に見てunityのほうがおすすめだと考えられます。

しかし、ueのバグが多く、せっかく作ったものが数ヶ月で動かなくなる環境というのは欠点でもあり利点でもある。

それだけupdateが速いということ。進化が速ければ速いほどバグは多くなるものです。どちらが合うかは人それぞれ。

私は最初にueを触ったときの感動を覚えていて、これからもueを触っていきたいと思います。ただし、ueはかなり大変です。ueはcrashしすぎるのでデータが消えます。気をつけましょう。

引っ張られる

私達は様々な重力の影響を受けています。ゲーム制作に関して言うと、ゲームエンジンの影響を受けている。今回は主に、その重力的影響について解説します。

重力的影響と言いましたが、この表現はsyuiの価値観に由来します。

まず重力は自然界で最も弱い力の作用のこと。その現実創造あるいは現実的影響について話します。

ueはバグが多く壊れやすく安定していません。一方で先駆的でグラフィックが綺麗な特徴があります。それはueが掲げる理念や信念に基づくものなのでしょう。

ueのassetやplugin開発者は、意図せずその影響に引っ張られています。

重力がこの世界で最も弱い力であるにも関わらず、現在の宇宙環境を構築しているように、その力は小さいものだけど、時間経過とともに積み重なって現代のゲーム環境を構築しています。

私は、最初にcity sampleという最先端技術を集めたassetを使うことにしました。このassetに色々と追加していく方針を採用したのです。

なぜかというと、少なからずそのクオリティに引っ張られることになるからです。

一番最初に難易度が高く負荷が高く完成度が高いものを置くと、新たに作るものはそれに引っ張られてゆきます。つまり、自然とそれに合わせるようになるのです。

もちろん、これにはリスクがあります。そして、最大のリスクはいつも心理面にもたらされます。

具体的に説明しましょう。これは、人間の言葉で「自信」と表現されます。しかし、私は「自信」とは少し違うなと思っていて「心の強さ」と表現することにしましょう。

難易度が高いことに挑戦することは失敗する可能性も高まることを意味します。そして、失敗すると心理強度を失ってゆきます。

わかりやすく言うと、失敗すると自信を失い、成功すると自信がつくということです。

できるまでやめないこと、とりあえず完成させることが大切です。

だからこそ、もう一方のやり方も非常におすすめです。小さなこと、簡単なことからはじめるやり方です。

どちらが合うのかは人それぞれ。私に関して言うと両方の組み合わせです。

小さなところから完璧に作ることを目指しながらも、大本は最先端技術のassetを使用し、その引力に引っ張られています。

なぜ小文字を使うのか

いくつかの理由があります。

  • 製品やサービスによってどこが大文字でどこが小文字かわからない。例えば、GithubなのかGitHubなのか。この場合は後者が正解だけど個別に判断するのも面倒
  • codeやurl、ほとんどの文章はローマ字入力の小文字で書いている。なにかの名前をコピーするときはurlからコピーしていて大抵小文字
  • 大文字と小文字が組み合わさると判断が難しい場合がある。例えば、I(アイ)なのかl(エル)なのか。全部小文字で書かれているなら、これはl(エル)だと判断しやすいですよね

全部小文字なのは見る人によっては見づらいかもしれませんね。

ただ、大文字は変換が面倒であるにも関わらず、間違いも多く、判断も難しい。

それならわざわざ大文字変換を使わず全部小文字で書いちゃえという理由から小文字を使うようにしています。というより大文字変換はしません。

また、文章を見れば「小文字の人だ」とわかるので、そういった特徴が出るのもいいものだと今更ながらそう思っています。

yuiという物語は最も小さい物質の探求です。その意味で小さい文字を使うのは理にかなっていると言えるでしょう。まあこのへんは単なるsyuiの個性です。

ただし、例外もあってファイルパス等の場合は大文字を使用します。

yuiとai

文字の話の続きになります。なぜyuiはaiなのか。なぜiで終わるのか、なぜ小文字を使うのかです。

y u i
a
i

私が好きな文字と数字はa, i, o, 1, 0です。この中で最も強いのはaiかな。数字と組み合わせるならo1とか強いですよ。

0はこの世界を意味し、1は存在を意味する。aはすべてを意味する。oは惑星、iは人間みたいな感じ。pcの電源ボタンも1と0、もしくはi(nput), o(utput)の組み合わせ。a(ll)はすべて。

なぜself-hostするのか

普通にyoutubeやtwitterを使った方がいいのでは。youtubeとtwitterを使ってvtuberをやればいい。そう考える人も多いと思う。

これはもっともな意見で、既に有名な人が使う分にはいいと思う。けど、それ以外の人は他の場所を考えたほうがいいと思う。

「みんなやってることをやる」というのは、その人の経験値にならない。いや、なるかもしれないけど、その価値は低いと思う。

そもそもyoutubeでやろうと他の場所でやろうと再生数はたいして変わらない。

だったらいろんな世界を知り、いろんなことをしたほうが面白いでしょ。例えば、プログラムを書く人なら、自分でyoutubeのようなものを作って、そこで配信したほうがいい経験になると思う。

とはいえ、youtubeを研究するのはいいことで、現時点ではyoutubeしかないと思う。youtubeは今のところ稼げる場所なのだと思う。しかし、youtube以外で稼げる場所、方法はあるのかを考えていかないとね。

例えば、youtuberやvtuberになりたいと考える人が増えている。一般的にそれをどう感じるだろう。

おそらく、「やめておいたほうがいいんじゃない」ではないだろうか。

それをやっている人も自分が運やタイミングが良かったことは理解していて、今参入しても厳しいことはわかっている。だからおすすめされない事が多いように思う。

GAFAが流行ったとき、プログラマになりたいという人がたくさん増えた。

多くはそれが楽して稼げるように見えたのだと思う。そういう人達はコンピュータが好きというわけではなく、やりたいことなんてあまりなかったんじゃないかな。

やりたいことをやれ。

どうせなら好きなことをやったほうが可能性は高いと思う。そのうち誰もやってないことをやるようになって、そうしたら発信する場所は割とどこでもいいんだと思う。

劇場について

今のvtuberの形態は劇場型を採用している。劇場型というのは、コラボみたいなものをイメージするとわかりやすい。

たくさんの有名人が集まってなにかやるんだけど、視聴者はそれを求めている。

しかし、劇場型には、いくつか弊害もあって、多くの視聴者はその関係性、つまり、有名人と有名人の関係性、あるいは、どの有名人が誰に声をかけたかみたいなもので、個々人を評価していると思う。最初にそういうものがあって、個々のvtuberはそこからはじまる。そこから生まれたのだから、劇場なしでは生き残れないのではないかという予測が生まれる。

では将来的に劇場がなくなるかというと、そうではない。最終的に「劇場」は「個々人」の人気を押し上げたあと、「個々人」をすべて吸い上げる流れになるかもしれない。そのとき、個々のvtuberはいくらでも替えがきくものになっていると思う。誰がいなくなっても困らない。そんな状況。

なぜなら、視聴者は「劇場」を求め、劇場を評価していて、劇場をオモシロイと思っているからだと思う。つまり、評価はそこから始まり、そこに終結する。

...という予測を話している人がいたので記録しておこう。

そういえば、世の中を見ていると、流行の移り変わりは本当に早くて、ちょっと前によく見かけたものが、いつの間にか見かけなくなったりする。

いつの世も生き残っているものは、借り物の姿、借り物のプラットフォームの上で、借り物のゲームの上で繰り広げられる劇場ではなく、「プラットフォームそのもの」だったり、「自分たちで作り上げたゲームや姿」だったりする。それを踏まえて自分の考えも更新していかなければならないな。

そういえば私もvtuberをここでたびたび話題にしているけど、実際に配信を見ること自体は少なくて、主にFF10をプレイしているのを見てた。それ以外はあんまり見てなかった。

やっぱり、自分の中ではFF10が占める割合のほうが大きかったのかもしれない。でも配信は面白かったし、配信者はすごいと思った。

ただ、その時はFF10をプレイしている配信者を片っ端から見て回っており、特に誰が配信しているとかは気にしてなかった。

これは言い換えると「有名配信者なら誰でも良かった」と言えるのかもしれない。もしプラットフォームがなかったら、もし借りものの姿を取り上げられたら、もしゲームがなかったら、vtuberは活動を続けられていたか私にはわからない。つまり、私が考えるべきところはそのへんになりそう。

その人の姿はその人のものとし、ゲームを作り、そして、プラットフォーム(主に配信と収益)を自身で賄えるようにするということ。これについては以下の項目で考えることにする。要点だけまとめる。

  • AI : 良い心を持つ人を見つける
  • atproto : 現実をゲームに反映
  • bitcoin : ゲーム売上の一部を配信者で還元

いくつかの前提条件がある。まずゲームが面白いこと。現実とリンクしていること。良い魂を持つ人に配信をしてもらうこと。プレイヤー自身を主人公にすべく努力すること。

ポケモンとFFの違い

ポケモンは既に平和な社会システムがあって、その中にも悪い人間はいて、主人公が悪の組織を潰し、その世界の栄光(最強)である四天王を倒し、チャンピオンに挑むという物語になっていて、チャンピオンは既に旅の途中で何度か出会っていた相手になることが多い。これは非常にわかりやすくシンプルな構成ではあるものの強力だと思う。

FF(ここではFF10)は体制への反転がテーマになっていて、既に社会システムがあり、主人公は外からやってきて、その仕組を知る。そして、そのシステムをぶち壊して体制を覆す。これには驚きや感動があり、物語的には複雑で分かりづらいけど非常に有効だと思う。

私は、平和な物語が好きで、残虐なゲームは嫌い。任天堂が作るような平和な世界観のゲームが好きなので、基本的には平和な世界で旅をする物語にしたい。でも、驚きや感動を入れたいので、一部で体制への反抗を入れてもいいかもしれないと思っている。

現実と個人の結びつき

システム的にいかにして現実と個人の結びつきを実現するかだと思う。

  • 世の中は良くなるにつれて平坦になる。かつての人類は王族が支配するピラミッドがあって急激なものだったが、今はなだらかに
  • 法の支配について。すべての人間は法のもとに平等であるという理念。どれほど権力を持った人間であろうと人を殺せば裁かれるというような概念。近代戦争も通常ならこの概念で人類的必要最小限の損害で対処可能。本来、法の支配の概念を適用するなら、ある国とある国の戦争はその国の指揮官並び数十名の権力者を相手国に引き渡し裁判を受けさせる条件のもと和平を実現するのが最も合理的だと思う。第三次世界大戦の引き金になってまで擁護すべき人間はいない。例えば、無実の人間が百万人犠牲になり地域が不安定化するか、罪を犯した数十人の権力者が裁判を受けるか、人類にとってどちらがマシかという話でしかない。この程度の判断や提案くらい誰かやらないのかなと個人的には思っていて、その実行は速ければ速いほど損失は少ないだろう
  • 独裁制は人類のシステム的欠陥。確かにその独裁者で最初の数年はいい結果に見えるかもしれない。しかし、その独裁者が歳を取って死にかけ寸前のときに何をするかわからない。その結果をすべて国民ないし人類が背負うことになるため
  • AIの登場で仮に世の中が良くなる場合、この平坦化の流れはさらに加速すると思われる。そもそも技術というものは、今までの特権をなくしてしまう効果がある
  • 人気者をさらに人気にするようなシステムやプラットフォームは衰退していくと思う。見つけていかないといけない。作り出すというかね。

方向性としてはこの方向性に沿ったシステムを形作っていかなければ、時代に合わなくなる可能性が高いと考えられる。

以下、具体案をまとめる。

  1. snsの投稿やlikeをゲームのキャラ性能に反映する(得た数ではなく与えた数で計測する)
  2. プレイヤーのsnsから心理診断システムをAIで構築して評価
  3. フォロワー数ではなくフォロー数で判断し、フォロワー数が多くフォロー数の極端に少ない人物を除外。これについては要検討だが、新しい人や物事への興味がある人物かを見る。停滞ではなく変化し成長する可能性のある心理を探している。ただし、短期間水増しムーブはフォロー数が極端に少ない人物と同等の評価を行う
  4. 1日に1回、ランダムで一人が選ばれる。ゲームプレイを配信でき、特別なキャラを操作できる。クリア報酬が出る。報酬はゲーム売上の数%をbitcoinで支払われ、一度でも選ばれた人達と折半となる。本人は自由に出し入れできる。自分の口座に移せるし、買い物もできる。しかし管理者側の所有で、自由に金額を移動できる権限が与えられる形式を取る。選ばれる人は重複させない。初期プレイヤーほど当たる確率は少し上がる。そのように設計する

とはいえ根本的な部分が重要だ。それをまとめると以下になる。

  • 良い心を持った人を見つける(AIの活用もありうる)
  • 誰にでもチャンスがある
  • 現実をゲームに反映する
  • プレイヤー個々人の特別な体験
  • プレイヤー個々人のネット世界(仮想世界)での姿形を作る

未来のインターネット

インターネットはhttpからatへ。これはatprotoの仕様を見れば今までのインターネットの根幹を覆すことも視野に入れて設計されているなと感じる。

atは名前もいいので今後、この流れになる可能性もあると思う。それについて書いていく。

# https://at.syu.is/at/syui.ai
# https://atproto-browser.vercel.app/at/syui.ai
at://syui.ai

at://syui.ai@syui.aiと表すこともできる。at = @なんでわかりやすいしシンプル。

そして、もう一つはインターネット上の名前空間の限界が理由。サービスはこれから更にユーザーフレンドリーへと変化していかなければならない。ユーザーはサービスが終了しても自身のアイディンティティが残るものを選択する。そのようになっていく。

ユーザーは活動してきたものを全部無駄にしたくないはずで「サービスが終了したらおしまいです」より「サービスが終了しても大丈夫です」を選択したい。今後、何十年も活動していくならなおさらで、開発者からその重要性に気づき移動している。やがては一般に波及していく。

urlは検索エンジンと強く結びついている。直接urlを入力する人はいない。しかし、少し前から検索エンジンが機能しなくなっている。様々な業者が金儲けのために荒らしているので検索上位は広告だらけで怪しいものになっている。

つまり、これから人々はどのように信憑性のある情報にアクセスしていくようになるのだろうか、ということだ。

その一つが人であり、個人だと私は思っている。

atは個人のアイディンティティを保持するとともに、個人の活動履歴を保存する。

これからのインターネットはatを検索したり、信用性の高いアカウントやat-urlを表示する検索エンジンのようなものが開発されていくだろう。

そうなるともはや直接at://を入力するより検索して情報にアクセスするのが一般的になるかもしれない。ホームページを作ろうではなく、atでアカウントを作ろうということになる。この流れは近年からあり、今の若い人はホームページやブログなんか作らずにどこかのサービスでアカウントを作るのだろう。

とはいえ、atはサービスの枠を超えたprotocolであり、httpを置き換える可能性すら秘めている。しかし、atはhttpを完全に排除するようなものではない。そもそもatのhandleはdomainであり、domainは殆どの場合、httpになっている。例えば、at://github.comhttps://github.comにアクセスしてもいいわけだ。今後、at browserで検索して、そこからhttpにアクセスする流れになるかもしれない。

activitypubとatproto

activitypubとatprotoは少し違う。まずactivitypubはsnsに特化した仕様だと思う。逆にatprotoはhttpの置き換えも視野に入れているのではないかと感じることがある。そのような設計がなされている。plcやbgsなどの仕組みからもより大きい変化を視野に入れているように思う。atprotoはactivitypubよりも根本的に広い視野で考えられているのだと思う。

activitypubはかなり触ってきて面白い技術だった。当時、mastodonはostatusというprotocolを使用していて、そこでmastodonのインスタンスを立てた。その後、mastodonはostatusからactivitypubに移行した。なお、ostatusに関する情報には気をつけよう。昔から危険なサイトが増えている。

当時立てたサーバーはmastodon, pleroma, misskey, mitra, gnu-social(activitypub support)。今はmastodon, mitraを動かしている。投稿はしていない。

mastodon(activitypub)は非常に大きくなり、meta(facebook)のthreadsにも採用された。githubでアイコンが出るようになっていることからもわかるように既にインターネットを大きく変えている。atprotoもactivitypubから影響を受けた部分は大きいだろう。

しかし、私はatprotoじゃないと厳しいと思っている。activitypubでは未来に耐えられない。多くの人はたくさんのサーバーから好きなのを選んでと言われてもわからない。そして、サーバーを入れないと外とやり取りできないのは複雑なんだ。この場合、分散を意識させないよう内部で勝手に分散し、構築されているのがユーザーにとっては望ましい。

そして、サーバーが分散できるとなると、多くの技術者は管理者になりたがる。自分の名前を使いたい。しかし、atprotoではそれがサーバー管理者でなくても容易に設定できる。使用する名前もより短くなる。これらはactivitypubでは解決が難しい。技術の根本に関わるものだから。

protocol user comment
activitypub:// @syui@syui.ai サーバーを建てる必要がある。urlを他に使用している場合は特殊な設定も必要
at:// @syui.ai サーバーを建てなくても設定できるし短くなる

バトルが単調でつまらなくなる理由

原神をやっていて面白いのは「元素爆発を回す」構成を考える余地があるから。高難易度では実際に回せないとクリアできない。数発の攻撃で死んでしまうので元素爆発の回避を利用する一瞬の判断が重要になってくる。

つまり、緊張感がないバトルは単調でつまらなくなってしまうと思う。相手のHPが高すぎるのも爽快感を削ってしまうだろう。しかし、原神のバトルシステムを真似るだけではダメで、オリジナリティがないといけない。

つまり、全く異なるバトルシステム、今まで見なかったバトルシステムを作ったうえで、単調でつまらない状態を回避しなければいけない。これには緊張感を持たせつつ、瞬間的な判断が重要になるようにしないと。また、その上で簡単にもしないといけない。難しすぎても駄目なのだ。誰でもわかる誰でもできるようにしないといけない。そんなバトルシステムを目指していこう。

各キャラクターモデルはどのように作られるのか

動物モデルをベースに作成されます。最初はfantasyから。レベルが上ったり、イベントにて動物 -> 人間 -> 神性モデルに進化していきます。プレイヤーは最初に動物モデルを動かすことになります。

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アイはゲームに参加するのか

アイはゲームには参加せず、物語に少し登場するキャラになると思われる。

各キャラは通常、普通のゲームキャラと変わらない性能をしているが、アイの場合はステータスやできることの上限設定、世界を作るうえでの必要性能をしているため、ゲーム参加に適さない。

syuiはゲームに参加するかもしれない。その場合、公平性を期すためレベルやステータス、その他はプレイヤー環境と同一となる。

仲間を集める

まずファンタジー(理想)を創造する。それに合う人を探す。特に心理面(雰囲気)を重視する。

hololiveは採用を非常にうまくやっていて0期生やenを見ているとそのように感じる。特にenのメンバーの一部には、初心を忘れないタイプが数名いる。hololiveに参加していることへの喜びを今でも持っていて、それを感じられるところが見ている側も嬉しい。そういうタイプがいいと思う。

何がしたいのか

見ている人を楽しませること、そして、やっている人に幸せな環境を提供すること。

技術面でいうと、現実世界と仮想世界の融合とアカウントの統合。 具体的にはゲームで操作するキャラとvの姿が一つになった世界。ゲームアカウントはsnsアカウントと統合されている。この辺を目指したい。

もう少し具体的に。見ている人は何が見たいんだろう。やっている人は本当は何がしたいのだろうか。この規格は2つのことを考えて作った。

ユーザーは本当にアイを操作しプレイしたいのだろうか。本当は自分が主人公になって自分自身でゲームを戦いたいのではないのだろうか。ゲーム内の自分自身が沢山の人から認識され、応援されたうえでプレイするのは楽しいことだ。やっている人も見ている人も。

aiverseではこの2つを実現していきたいと考えている。

現実のsnsアカウントと自身のキャラを使ってゲームを配信したりプレイしたりする形式だ。この場合、3つの要素(sns, アバター, 主人公)、すべてがイコールになる。

sns avatar game
aiverse 🟩 🟩 🟩
vtuber 🟩 🟩 🟥
通常配信 🟩 🟥 🟥

snsを分析して動物を割り当てる

snsを分析して動物を割り当てるatproto serviceが開発されている。プレイヤー数が多くなってきたらこういう仕組みで最初のキャラを割り当てる。 jyc.dev

ue 5.5.0への移行

ue 5.5.xに移行するため、また一から再構築しています。つまり、今まで作ってきたものは全部作り直しです。主な理由としてはコード整理です。

ueはファイル名やフォルダ名、変数名を変えることができません。壊れますので、変更や修正、フォルダ整理などはすべきではないのです。例えば、フォルダ名を変更しようものなら1日以上の時間がかかっても不思議ではありません。途中でフリーズして全体が壊れてしまうことも十分ありえます。ファイル名の変更も1つのファイルにつき数時間はかかるでしょう。したがって、ueでは一度作ったファイルやフォルダは削除または変更できないと考えておいたほうがいいでしょう。もちろん、ファイル、フォルダの移動もできません。やるべきではないのです。

ueは触りだしたばかりなので試行錯誤でやっていると、特にアニメーション関連のインポートでファイルが散らかっており、整理もできない状態なので放置していました。しかし、どちらにせよupdateすると今まで作っていたものは動かなくなります。よって、これを機に情報整理の点からも再構築することにしました。

これは情報整理だけでなく、ueの勉強になります。何度も一から作り直すこと。それを短い期間で繰り返すことは、私に合った方法の一つです。

ですが、精神的にきつい部分もあって、相当こだわってクオリティを上げて作ってきたものを全部失い、また最初からやり直すというのは、キャラを操作していると、すごく落ち込みます。

あんなに自由に動かせたのに。便利で快適だった機能もすべてなくなり、ギクシャクした動きや全く動かない状態から再び作っていかなければなりません。調整していかなければならない。

それに加えて、今までにはなかった新たな問題も発生しています。私は早いうちに移行を済ませておきたいタイプですが、おすすめしません。

インターネットとはなにか

atprotoを考えるとき、インターネットのことを考える。

私の考えはわかりづらいように思います。たまたまyoutubeにでてきた動画にINFJは理解されないみたいなのがでてきた。調べてみると自分の診断結果もINFJ-Aというやつだった。

ということで、atprotoについて少し自分の考えを話します。明快に。

私にとってインターネットという概念はそこまで難しいものではありません。重要なのは「人と情報」です。人はどのように情報を得ていくようになるのだろうか。それを考えます。そして、それは時代とともに変化します。今はインターネットから人は情報を得ていくだろう。それだけの話です。

次に考えるべきは「どのように」です。インターネットから情報を得ていくにしても、どのように得ていくようになるのでしょう。それを考えます。

まずは歴史からですが、簡単に説明すると、インターネットが普及し、最初に起こったのは個々人がホームページを作り出したことでした。誰でもホームページを作ると、つまり、webサイトですが、それを作ると情報を発信できるのです。そして、検索エンジンが登場します。

最初はurlを入力してアクセスしていた人々が検索エンジンからwebサイトにアクセスするようになります。この時代を1としましょう。

次に登場したのはサービスでした。色々なサービスができて、snsが登場します。twitterとかfacebookなどですね。次第に人々はホームページや検索エンジンからではなく、snsから情報を得ていくようになります。この時代を2としましょう。

さて、ではその次はなんなのでしょう。これはまだはっきりとはしていません。

ですが、次第に輪郭が見えてきたような気がします。それがactivitypubやatprotoのようなものになります。

これがどういったものかというと、こんな風に主張する人もいます。「インターネットは大企業に乗っ取られた。それを取り戻す」

私はそんな風には考えませんが、確かに、人々はサービス上でアカウントを作るようになりましたし、サービス上で発信するようになりました。すべての投稿はそのサービスに帰結します。個人にではありません。もちろん、情報をどこから得ていくのかもサービスの中からです。これが近年のインターネットの形であり、あり方でした。

ですが、1では違いました。私は3ではまた1の方向に帰結するのではないかと考えているのです。個人から企業へ。企業から個人へ。そんな感じです。そこまで単純なものでもないですけどね。時代に合ったバランスで個人方向へ向かうのでしょう。

これは1にそのまま戻るというわけではありません。1にはたくさんの問題がありました。その問題のため、2が使われるようになった側面があるのです。例えば、検索エンジンでは求めている情報にたどり着けないことが増えましたよね。そうした問題をバランスよく解決したり回避したりしながら、3への移行になるのだと思います。

atprotoはそうした問題点をわかっていて、付属するservice(server)、例えば、bgs, bsky, plc, ozoneなどはそういった役割を果たすためのものです。私は小さくしたインターネットみたいだなと思いました。とても賢いやりかただと見ています。

activitypubにはそうした仕組みはなく、考えられていないように思います。いやこういうものがあるぞ、という人はいるかもしれませんが、そうではありません。設計前の思想や思考なのです。設計するときにそういったことを思考し、思想があったかなかったか。そういう話なのです。

activitypubはsnsのために作られたもの。atprotoはインターネット、つまり、人と情報はどうなっていくのだろうか、かつてこういう事があったから、こうしたほうがいいのではないか。そういう事を考えられて設計されたように感じるのです。

これがactivitypubは未来に耐えられないが、atprotoは耐えられる、みたいに表現する理由です。

これについて、今後、atprotoよりももっといいものがでてくるという意見が予想されますが、それは色々な点で難しいと思っています。1,2,3という時代で分けていることからも分かる通り、ある程度の期間が必要なのです。そして、一度当てはめられたら、それはその時代の終焉、つまり、非常に長い期間使われるものになるのです。そして、重要なのは根本的な部分はそんな変わらないということです。

atprotoがすごいのは、httpの置き換えすらも視野に入れているのではないかと想像できるところにあります。その場合、時代に関係なく使われるものになるでしょう。bsky.teamは野心家ですから、そのへんも考えている気がします。

多分、このへんでわけがわからないと思う人もいるだろうと思います。したがって、私の考えを少しだけ明かします。

https://syui.ai

at://syui.ai

想像できることは私の強みでもあります。しかし、何でもかんでも想像するわけではありません。現実的に可能な範囲で想像するようにしています。

その上でいうとactivitypubはtwitterの代わりになるかもしれませんが、httpの代わりにはなれないように感じています。atprotoはhttpの代わりになれるかもしれない。時代を超えれるか超えられないか。

この2つは、そういった差なのです。これを大きいという人もいれば小さいという人もいると思います。大したことではない、なんの意味もないと考える人もいるでしょう。

ですが、私にとってはこの差は大きく、意味がある。とはいえ、本当は小さいんですけど、ここで何度も言っているように、小さいということは大きいということでもあるのです。最も小さいものが世界を創り、変えていく。この世界はそういうものです。

そして、当時はそういう事に気づかない。小さいので誰にも見えないし、気にもしない。

atprotoは本当に些細なこと、誰にも気にされないような小さなことが驚くべきほど考えられているように感じます。

先ほど、atはhttpを置き換える可能性すらあると言いましたが、どのように感じましたか。よくもそんなたいそれたことを、そんな巨大なもの置き換えられるはずないだろ。

そう考えた人も多いのではないでしょうか。

ですが、httpって本当に大きく変えようがないほど巨大なものでしょうか。

それは小さくシンプルで単純なものではないですか。どうでしょう。

httpはシンプルなものです。atprotoもシンプルなものですね。

そして、この2つのどちらを使うにしても変わらないことがあります。

それは「人はどのように情報を得ていくのだろう」ということ。

私のようなものの見方をする人間にとって、httpもatもそう変わらんのです。そして、似てるところがあるんじゃないってのが個人的な意見です。

at://のほうがurlが短くなるので、そっちのほうがうれしいなって思いますよ。

宗教と通貨

protocolは宗教や通貨に似ています。多くの人に広めたほうが生き残るところが。

広まらないと始まらないし、広めることに意味があります。

内容や技術だけではないのです。そして、それらの評価、優劣も人それぞれ。

宗教は自分たちで作った物語を人々に広めます。通貨は交換(価値)、protocolは情報を。

カードはどこで引くのか

ゲーム内で引くのか、あるいはsnsで引くのか。やはり現実とリンクさせるためにsnsで引いたカードをゲームで使えるっていう感じにするほうがいい気がする。仕組みとしては複雑かな。ゲーム内だけで完結するものではないから。

この辺はpdsに保存する仕組みを作ったんだけど、まだやる気が出ないので、書いてないし動かしていない。

私は理解されていないのか

そういう事はあまり考えたことないし、気にしたこともない。

ただ、私のような考えをする人はあまり見たことがない。見たことないなとは思う。とはいえ、人の考え方はそれぞれだし、私も他人の考えについて深く知っているというわけでもない。そういうものだろう。

むしろ、「自分は理解されない」みたいに考えている人は独りよがりだと思う。あまり好ましくないなと思っている。

確かに、なんかちょっと他の人とは違ってるかなあと感じることは正直あるけど、そんなことはどうでもいい。あまり気にしないな。

理解されているのかもしれないし、されていないのかもしれない。

このゲームは診断要素も入れようと思っているので、ここで自分の考えについて話しておこうと思う。私は診断結果についてそこまで気にしていないし、重要だとも思っていない。真に受けているかと言われれば、半々くらいだろう。

ただ、一般的に広まっている診断は、基本的にすごいものだと思っている。何がすごいのかというと広まっていることがすごいのだ。真実か否かではなく、楽しさや面白さはどこにあるのか。人が何を信じるかの話。これを否定するのは容易いことだけど、広まっている事実は変わらない。この世界は意識によってできている。意識が変われば世界も変わる。だから、ある意味で診断も世界を変えている。

難しい話になってしまったが、重要なことを一つだけ書いておこうと思う。

例えば、世の中に広まったものは全部間違いで劣ったものである、みたいなうがった見方はとても危険だと思う。悪貨は良貨を駆逐する、悪いものが生き残る、現実は醜く間違っている、自分は真実を知っている、陰謀が張り巡らされている、そのように考える傾向がある人とない人は明確に分かれていて、これは診断についても言えること。診断に拒絶反応を示すタイプは多量の負の感情を持っている可能性が高いのかもしれない。

有名な配信者のコメント欄などを見る限りでは2割くらいはその性質を持つ人で占められているように感じている。自分がそうなってしまわないよう気をつけたほうがいい。そんな話。

  • 自分は理解されないみたいに考えるのはよくない
  • 広まったものは全部劣ったものであるという意識は危険

診断や配信について、作ってる側としては楽しければいいのだ。プレイヤーを楽しませることが重要で、私自身、診断は面白いからやってみることが多い。何を信じるか、そんなの人の勝手。あるものを否定したり批判したり馬鹿にするのではなく、あるものを受け入れ楽しむ姿勢。人生において、とても重要なことだと思う。

とはいえ、世の中は変化していくので、柔軟性も大切。今あるものも完璧ではなく、いいところもあれば悪いところもある。完璧なものはないので、悪いところを見つけては否定や批判ばかりしているのも良くないが、今あるものを受け入れてばかりでもダメなのだ。特に何かを作る場合はね。そのあたりは、まあいい感じにやっていけたらと思うよ。

最初に選択があるべき

ゲームは3つの要素で構成している。選択要素、診断要素、運要素だ。

で、最初にあるべきなのは選択要素だと思う。これを例えばアカウントを作成するケースに当てはめてみよう。

  1. キャラクターの性別を選択する
  2. キャラクターは診断から決められる
  3. ステータスは、つまりランダムで割り振られる(9:1)

最初に性別を選択させるというゲームは多く、そこにも重要な意味がある。一つはプレイヤーにゲームの選択権があると理解してもらうところに意味がある。そういった認識や意識を抱かせる点にあると思う。これが全自動で決められ、他のプレイヤーとの差異がない場合、そういった意識を持つのは難しい。

ステータスに関しては全部がランダムではなく、例えば、snsのpost数などで計算されるところがあると良いかもしれない。

このゲームでの旅とは

このゲームでの旅はどんなものになるのだろう。それを少しだけ説明しておきたいと思う。私の考えは単純でプレイヤーはまず何らかの動物あるいは人間以外の生き物のモデル(キャラ)からはじまる。最初に診断で決定されるキャラクターだ。グループはファンタジーと言うカテゴリから始まり、シーズンが終わるとまた新たなグループが作成される。参加したときのシーズンとグループ名は記録される。

なぜ動物モデルから始まるのかというと、これは人類の旅でもあるからだ。人間は最初から人間だったわけではない。他の生命(生物)だった。そういった歴史に基づき、動物->人間->神性モデルへ移行するように設計されている。

シーズン1は神話の始まりを意味する。その意味で空想動物達が選ばれるようになっている。シーズン2へは割と早い段階で移行しようと思っていて、そこではクジラやゾウやライオン、ワシなどが選ばれると思う。